小学校5年当時(昭和51年=1976年)学校から帰ってきてすることといえば、父の撮った8ミリフィルムの編集をすることであった。また、ヒマさえあれば大人が読む8ミリ専門誌を毎日むさぼり読み、得た知識で頭はパンパンになっていった。そして毎日フィルムの入っていないカメラを構えては太極拳のように撮影ポーズを決めて満足していた。学校に通う時にも「どうしたら歩きながら撮影してカメラがぶれないか?」がいつもテーマで、なるべく肩を揺らさない歩き方を考え出しては変な歩き方ばかりしていた(そのせいで今も歩き方が変である)。
そんな中、自然と「いつかは自分の手で8ミリを撮ってみたい」という願望に駆られていった。
しかしフィルム1本3分が当時約1000円、現像に約500円した。
この金額は小学生の私にとって8ミリはとてつもなく高価な物であった。
そこで父にフィルムをねだることにした。
父におねだりしてみたが道は険しかった。
父は絵コンテ(つまり図解入りのシナリオ)を完成させて、父のOKが出ればフィルムを買うという。
最初はこのとんでもない条件に驚いたが、今後の製作活動に大きな影響を与えることとなった。
8ミリをはじめとする「映画」、「映像」とは別名「時間の短縮の芸術」とも言われ、その気になれば人の一生を30分で描くこともできる。だからこそ撮影前に「どこをどう撮ってまとめるか?」を考えなければならない。
みなさんはかつて友人などの撮った旅行のビデオや、家族のビデオをダラダラと見せられ退屈したことはないだろうか? それはプランを立てずに撮影しているからである。
ようやく小学5年生カメラマンの撮影プランはできあがった。
タイトルは「お正月」。元旦に祖父の家に行って、お正月の風景を3分にまとめるというものである。年賀状、お年玉、お雑煮、初詣などをテンポよくまとめるというものだった。何度かの修正の後、ようやく父からゴーサインが出た。
父からの軍資金がようやく出て、焦る気持ちを抑えながら私は自転車で近所のカメラ店へと向かった。
たった一本の8ミリフィルムを買うのに、神妙な面持ちでお金を握りしめてドキドキしながらやってきた小学生の私にカメラ店の店主はやさしく「おまけでもう1本あげるよ、期限切れだけどまだ写るよ」と合計2本のフィルムを渡してくれたのだ。
1本分の軍資金で2本のフィルムをゲットするなんて思いも寄らないボーナスに跳び上がって喜んだ。
そしてお正月、撮影当日。生まれて初めての撮影にとまどいながらも、こちらにはすでに描いた絵コンテがある。絵コンテ通りに撮影を進めていく。カメラはすべて手動であわせる旧式なので、距離を測り(メートルではなくフィートである)、フォーカスをあわせ、露出を計り絞りを決め、初めてのクランクイン! 焦りながらもフィルム2本を撮り終えた。
1週間後、現像が上がってきて試写すると何とも言えないいい味の仕上がりになっていた。これを機に私の人生は、どっぷり映像にはまっていくことになった。
つづく