今回は私が8ミリのビジネスを始めて知り合ったいろいろな人たちを紹介したいと思う。
まずはじめは、フランス在住のジャルドンさん。この方はもう80歳を超える好々爺だが、日本と深いつながりを持つ著名な方だ。
このジャルドンさん、元々はルノーの自動車エンジニア。このジャルドンさんが昭和27年から5年間、赴任となった先は日本。当時日本の乗用車の生産技術が未熟だった時代にジャルドンさんは日野自動車に派遣され、乗用車の作り方を一から教え、「日野ルノー」というクルマを世に送り出した仕掛け人であった。そのジャルドンさん、当時の住まいには旧マッカーサー元帥邸が用意され、破格の給料をもらっていたのだそうだが、給料はすべて日本円。当時は外貨への両替が制限されていたので、もらった日本円を日本国内で使うしかなかったそうだ。そこでもらった給料は当時趣味であった8ミリに費やされ、当時の日本人には高くて手が出なかったカラーフィルムを存分に使ってフランス人の目で見た日本を丹念に記録していった。日本の農業、漁業、夏祭り、お正月、銀座の風景、日光、箱根、京都、伊勢、別府など他では見ることのできない貴重な映像が今でも鮮明なカラーで保存されている。
そのジャルドンさんとの出会いはいまから7年前。フランスの自動車業界のマネージメントの仕事のかたわら、ずっと50年以上8ミリ撮影を続けておられたジャルドンさんであったが、ある日手に入らなくなった8ミリのある機械を世界中の支社の人たちを通じて探されていた。その結果、彼の会社の日本支社から、唯一、日本のレトロという会社(弊社)にその機械があるというニュースが彼の元へもたらされたのである。そして2000年、日本の自動車業界の招きでジャルドン氏が再来日された際、日産自動車本社、フランス大使館を回られた後、彼を乗せた黒塗りのリムジンは我が社に到着したのである。8ミリで埋め尽くされたお店を子供のように喜んでくださり、それ以降も交流がずっと続いている。その交流もインターネットやメールではなく、毎回手書きの文章を便せんに書いて、封筒に入れて切手を貼って送る昔ながらの通信手段である。手間と時間はかかるが心があたたまる気がする。ここにもレトロの良さを再発見した。
私もジャルドン氏のパリにある私邸に何度か招かれた。中でも地下にあるワインセラー兼映写室は圧巻である。そこではため息が出そうなくらいきれいな50年以上前の日本の映像をカラーで見させていただいた。どうかこれからも長生きしてほしい。
8ミリのビジネスを始めて数年後、非常に個性のあるメールがスペインから毎日届くようになった。
カメラのこと、フィルムのこと、現像のこと等自分の言いたいことを英語で一生懸命長文で書いてきていた。彼こそが欧米の8ミリ界で有名な8ミリおじさん、イグナシオ・ベネディッティさんであった。非常に興味深い人だったので、スペインまで直接会いに行った。スペインと言ってもマドリッドやバロセロナではなくヨーロッパ大陸の最北西に位置するラ・コルーニヤという小さな街であった。私は人と出会う時どんなに遠くの人であっても、直接会って話をするようにしている。メールや電話で簡単に連絡がとれてしまう世の中であっても直接会って話をして食事を一緒にすることによって何物にも代えられない親交が生まれると信じているからだ。
彼は現在40代半ば。少年の頃から8ミリに目覚め、いままで8ミリ一筋で来ているところが私の生い立ちとよく似ていた。現在は趣味が高じて映画配給会社を営んでおられる。実際に会ってみると彼が毎日のように送ってきた几帳面なメールとは裏腹に、彼のユーモラスな性格とラテン独特のおおらかさと女好きに思わず爆笑してしまった。しかし彼の8ミリに対する情熱は並大抵のものではなく、世界中にアンテナを張り巡らしては8ミリ関係の情報と機器をゲットする。家の中には映画館まで備えられ、各部屋には今まで発売されたほぼすべての8ミリカメラが所狭しとコレクションとして飾られている。
そして彼がすべての情熱と高価な機材を駆使して唯一撮影するものとは、小学生の息子と娘の成長記録である。まさに8ミリ元来のアットホームな使われ方である。
ある日、ドイツのお客さんから「日本にフジカシングル8カメラのほとんどを1人でデザインしたというすごい人がいるよ」というメールが来た。
調べてみると「フジカシングル8」のほとんどのカメラをデザインされていた水川繁雄さんという方のことであった。「そんな著名な方が私などに話をしてくださるだろうか?」と不安であったが、メールを送ったところ、すでに私の会社のことはご存じで、あたたかく歓迎していただいた。埼玉のご自宅にまでおじゃまになり、いろいろとお話を聞かせていただくことができた。
入社してすぐにデザインしたカメラのこと、デザインは仕上がったが営業側の都合でなかなか世の中に出られなかったカメラのこと、コンパクトなデザインが先行して当時の技術が追いつかず、15年経ってから製品化できたカメラのことなど現在でも実際にそのカメラを売る側としては非常に興味深い「よもやま話」を伺うことができた。
水川さん自身も子供の成長記録を撮るために8ミリを愛用されていた関係で使う側の立場になってデザインすることができたそうだ。
この21世紀に8ミリムービーというジャンルを復活させることができたのは、8ミリというキーワードでいろいろな人たちに出会い、助けていただき、力を合わせることができた賜物である。この場を借りて力を貸していただいた皆様に感謝申し上げたい。
早いものでこの達人コーナーも今回が最終回となってしまった。まだまだ他に一冊の本が書けるぐらいの出来事や情報が山ほどあるが、また何かの機会があれば書いていきたいと思っている。
今後8ミリのこと、このコラムに関すること等、ご質問があればいつでもご連絡いただければありがたい。
いままで読んでくださった方々、本当にありがとうございました。